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パナマの僻地で2年を過ごす。それはまさに自分への挑戦でもあり、夢でもあった。電気なし、水なしの究極の生活。この生活を通して感じた全てのことを記録しています

脱!堕落生活

2007/04/27

気づいたことがある。

「こっそり」堕落した生活をしていたつもりであったが、いつの間にかこっそりではなくなったのだ。こっそりどころの話じゃなくて、堂々と堕落し始めている。いわゆるだめ人間であることに気づいた。

いや、まだ未然なのかもしれない。

日本社会にうまく馴染めず困っているので、その回避策としてこっそり堕落する生活を目指していた。ところが、堕落の度合いは進行し、堕落に堕落を極めた、究極の堕落人生を突っ走り始めていたのだ。


これではいけないと重い腰を持ち上げることにした。

重いのは腰だけではなかった。
しばらくの運動不足で、腹回りも重くなり、全体的に動きが鈍化していることにも気づいた。


本当にヤバいと感じるのはこういうことなのだろうか。
「脱!堕落生活」、当面の目標だ。

地に足をつける

2007/04/20

以前、海外に行く話があると書いた。
でも、いくのを止めた。

諦めみたいになってしまっている。そうなのかもしれない。
でも、しばらくじっとしていることにした。

ただ、日本で暴れることはできる。
まずは、動き出そうと思う。

ひとときの休息

2007/04/09

休みが必要だ。

最近、自分が疲れているように感じる。

おそらく、日本と海外との間にうまれるギャップなのだろう。友人から聞いた話であるが、専門的にも、こういった現象が起こるようだ。外国人が日本に 移り住んできた場合、母国とのギャップに悩んだり、苦労を強いられたりする事が必ずあるのだと言う。確かに、自分も苦労した。しかし、その苦労よりも、 もっと苦労する事があるのだと言う。

それが、再び母国へ帰国した時。

ギャップを感じながらも適応する為に、必死に動いたその体が、いざ元の場所に移ると異常な興奮状態になるそうだ。確かに、妙な気分であったのを記憶している。

そして、その後。

異常なストレスを感じ始めるのだとそうだ。今がその時期なのかどうかは分からない。しかし、日本社会に苦痛を感じているのは確かだ。日本が嫌なのではないが、何か苦痛を感じてしまう。

心が正常になるまでにまだまだ時間がかかりそうだ

夢を追う

2007/04/07

時々思う、夢や目標を追う事って何なのか。
貧しい国に済んでいる人たち。
金持ちな人たち。

その夢の内容は違えど、みんな何かの「夢」を持っているんだと思う。
世界中にいる人の中で、何人その夢を追う事ができているのだろうか。


パナマにいる時、ある子供に1つの質問をした。

「将来、何をやりたい?」って


その子供はこう答えた。
「学校の先生になりたい。それで、みんなと勉強したいんだ」と。

その子のいる村は、貧しい地域。

それでも、その子が将来できるかもしれない最大限の「夢」をもって生きていた。
「夢」を持つ事の意義、もう少し考えてみようと思う。

選択

2007/04/06

人は、必ず「選択」しなければならない時がある。

生 きていればそれは当然の事だ。日常の些細な事でも、「選択」し決めなければならない。例えばAという商品とBという商品のどちらを買うのかで迷う事は、瞬 間的に悩むだけで負担は少ない。ところが、それがその後の人生を変えるかもしれない選択であったとき、その負担はどのくらいになるであろうか。

さらに、自分で切り開いて手に入れた選択肢が、すべて無効となってしまい、他から無理矢理押し付けられた選択肢であれば、それを「選択」することができるであろうか。

おそらく、簡単な事ではない。さらに、苦労して選んだ結果を間違いと言う事もできないはずだ。ところが、現実はそれを誰しもが行っている。間違いといえる根拠も無いのに。

それは価値観の違いであると考えられる。ただ、何かを「選択」するときに他人の価値観で判断しては行き得ないと思う。自分の価値観を最も大切にし、他人の価値観は「選択」する際に、迷ったときの参考意見にしておかなければならない。


選ぶということは、生きると言っても過言ではない。

不安



日本との違い、感覚のズレなどから一時期大きな不安があった。不安とはいったいなんなのか、この時初めて考えたような気がする。人が持つ不安には、いくつか種類があるのではないかと考えている。

  • 不可抗力から悩みを持ち、どうにもする事のできない不安。
  • ある目標に向かって突き進みたいのだけれど、その自信が無い為に抱く不安。
  • 実行しようと思えばできる事なのに、諸事情で行えないことから抱いてしまう不安。

不安とは、何か自身があるからこそ抱くものであり、「無」の状態で抱く事は考えにくい。つまり、不安に思う事があるという事は、それに対して何らかの「行動」を起こしたい願望があるからではないか。
ただ、それを実行する過程で成功できるかどうか想像できないから不安になるのである。 不安を消す為には、やはり、「自信」を持つしかない。 自信を持つ為には、日々こつこつと努力を積み重ねていくのみなのであろう。

スペイン語を勉強する

2007/04/05

日本国内にいて、スペイン語を維持していくのはなかなか難しい。

最近でこそ増えてきているものの、英語ほどメジャーな言語でもないため会話力をさらに磨く事のできる場所が少ないのである。当然、参考書も英語に比べたら圧倒的にすくない。フランス語、イタリア語よりも少ないかもしれない。他の、希少言語に比べたら充実してはいるが・・・

この参考書の陳列が端っこの方にあったときは妙に悲しくなる。英語、中国語に続き、3番目に位置づくのがこのスペイン語。中南米全域、約20カ国を渡り歩くことのできる言語が、日本ではあまりもてはやされない。これも、悲しい現実なのだろう。

そんなことにもめげず、スペイン語を少しでも覚えようと必死だ。

NHKのラジオスペイン語講座は、手軽に始められる割に、高度なレベルまで取り扱っており個人的にお気に入りの材料だ。初級編と応用編に分かれているのもありがたい。もちろん、両方聴いている。

ただ、文法的な事となると、どうしても接続法について深めていきたくなる。この接続法という文法は、日本語には無い概念なのです。つまり、そう簡単には覚える事ができない。この接続法は簡単なようで複雑化しており、これを用いると、様々な気持ちを1つの言葉に埋め込むことができるので、表現力を磨く為には、必ず覚えなければならない分野である。

今まで、この文法を説明する資料は豊富でなかったのである。大型の書店にも、数年前は入門編ばかりが並び、上級者向けの参考書は無かったのを覚えている。


入門を終えたら接続法を使って話そうスペイン語―NHKラジオスペイン語講座
詳細を見る

ところが、帰国してみるとその状況は変わりつつある。上記の、本が出版されていたのだ。なぜ、今になって出版なのか。次期、万博がスペインで開催されるからなのか。この辺りの真相は定かではないが、参考資料が増える事には歓迎だ。


スペイン語、そろそろメジャー入りしてほしい。
レアルマドリードのインタビューが理解できたりして結構面白いのだが。


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幸福論を考える

2007/04/04


日本に帰国して3ヶ月が過ぎた。


途上国と日本。
今は、その大きな較差に動揺を隠せないでいる。

人、もの、情報に満ち溢れた社会。
それは、果たして幸せなのか。

「幸福論」という言葉が頭をよぎる。
生きるとは何なのか…
幸せとは何なのか…

日本にも僻地があった。それは大都会の真っ只中。

ネットカフェでその日暮らしをする人
携帯電話ばかりを眺めて笑顔になって人と触れ合うことを忘れてしまった人

何かが違う。
パナマで過ごしてきた僻地とは違う、異質な空間、大都会の僻地

降り注ぐ雨
それに無反応な世間
人は何を感じ、何に向かって生きているのか
今は、それを傍観している

いつか止む雨を、ともに喜ぶために

外の世界を見て、はじめて「幸せ」とは何なのか考えるようになった

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肌荒れに悩む


日本に帰ってからというもの、肌荒れが本当にひどい。

2年間日焼けしっぱなしだったからであろうか、まるでパンダのようにシミができてしまっている。

かの超有名冒険家、植村直己の頬が紫外線と日焼けで、真っ赤だったように、僕の肌もメラニン色素が頑張って自己主張している。ようやく春になりかけた日本。帰国してからというもの、肌はどんどん白くなり、シミはどんどん目立つようになってきている。

困ったものだ。

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次のチャンスがやってきた

再び、日本を離れる事になるかもしれません。

海外へ派遣する話が、再び舞い込んできました。しかし、まだ、話は未定のまま。これから、話を詰めて、詳細が決定し、出発に向けて準備できるのです。しかし、現時点で行けるのかわかりません。

今は、本当に実現するのかどうかという不安でいっぱいですね。さて、次はどの国になるのか。少なくとも、スペイン語しか話せないので、スペイン語圏である事に間違いはありません。

あまり、具体的に決定していないため、話はここまで。再び、ラテンの雰囲気を味会えるかもしれないという期待と、日本を離れ、独りでやっていく不安が入り混ざっています。


なるようになれ!今はそれしか言えません。



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日本人と外国人

最近、テレビをつければ、聞きたくもないニュースが毎日流れ、その内容は日々残虐性があふれている。露骨な映像や写真こそ無いものの、その内容は異常だ。

  • いじめ
  • 未成年の子供が親を殺害
  • 自殺
  • 日本人青年が外国人女性を殺害する・・・


みんな、心のねじが狂ってしまったのだろうか。それとも、日々の暮らしに退屈し始めてしまったため、このような「刺激的」な話が聞きたいのか。海外での生活をしていた事もあり、日本という国を客観視すると、様々な矛盾が見えてくる。


今回は、日本人と外国人の関わり合いについて考えてみたいと思う。

日本人が外国人を殺害する。かつては、密入国で日本に滞在していた外国人の犯罪が顕著であったが、昨今では気の狂った日本人が外国人に対して事件を起こすようになってしまっている。

「国際化」をうたう日本にとって大打撃ではなかったのか。しかも、殺害されたのは、一番日本人が好んで交流する「白人」だった。最近ではあまり聞かなくなったが、「白人」意外の外国人は、煙たく思う人がいたり、危ない人とレッテルを貼ってしまう人がいる。確かに、ニュース沙汰になる外国人犯罪は、こういった白人以外の外国人が多いのかもしれない。

しかし、世界を見た時、その白人の閉める割合はいくらなんだろうか。決して多くはないはずだ。皆、それを考えようともしないし、理解しようともしない。

日本人も海外へ出れば「外国人」になるのに。

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